Skip to main content
Nami Writes - Nami's Blog

高校を辞めて得たもの (Dropping Out from High School)

This post is a cross-post from my previous post on Note: https://note.com/nsunami/n/nd2b1aad8bf00


高校の教室。

今日は定期考査の日。

でも自分は勉強をしていない。

答案用紙が配られる。案の定、答えは何もわからない。

パニック。

身体中から汗。手から汗、答案用紙が濡れて破れるほどに。

大学に行っても、大学院に入っても、そんな高校生の頃の夢を見た。「あれ、もうとっくに大学も出たはず」と自分に言い聞かせて目を覚ますこともしばしばだった。やはり多感な高校生の時のどん底の経験したことは、頭の片隅に置いてあるのだろう。

小学校・中学校では割と勉強しなくても勉強ができるタイプだった。てなわけで、高校進学も県内の進学校に進むことを、周りに流されるように決めた。しかしそこで、努力ができるクラスメイトとの違いを思い知らされることになる。

高校1年はなんとかついていった。しかし高校2年となると次元の違う世界だ。理系を選択したので物理、生物、化学、数学と勉強量が多かった。

それに加え、分からないことを叱るような高圧的な教師、進学校ならではの大学受験へのプレッシャー。気の小さい自分にとって高校は居づらい場所になっていく。

勉強は身に入らない。しかし、テストで点を取れることがとても大切なこと、という価値観は自分の中に確実に植え付けられていた。

そして高校2年の夏。合唱部に入っていた自分は練習を頑張っていた。それに加えて、夏休み明けにある文化祭の準備も並行してやっていた。どちらも精一杯やろうとして、自分は限界に近づいていたのだろう。結果としてはどちらも惨敗。合唱部の方は県大会止まり。文化祭の準備の方は、当日上映するはずだった映画の編集が間に合わないというアクシデント。

自分は燃え尽きていった。

何もかもやりすぎたのだ。

いつから朝が億劫になっていったのは覚えていない。

英語や数学のテストで赤点を取ったり、追試になっていたりしていたような気がする。(その後、フィリピン・アメリカの大学に行ったり、統計学を教えたりとしているのだから、人生とは分からないものである。)

とにかく朝が起きられなくなっていった。

ベッドから出られない。

なんとか起きて遅刻をして親に車で送ってもらう。

自分にとって、遅刻するということは恥ずべきことだという気持ちもあったのだろう。

遅れていった学校で次の授業が始まるまで、トイレの中に隠れて待った。

どうすればいいのか分からなかった。

その後、学校には行かなくなった。

その頃一番苦痛だったのは朝、家に学校の先生から電話がかかってくること。電話のベルがなると、布団をかぶって聞こえないフリをする。

相当参っていたのだろう。

クラスメイトも家を訪ねてきてくれたりしたが、会いたくないと断っていたような思いがある。今思えばせっかくの善意を蔑ろにして、申し訳ない。しかし、その当時の自分には、その善意を受け止められるだけの力がなかったのだろう。

ここからは暗い日々の連続だった。

何日・何週間経っただろうか。学校から電話があったらしく、出席日数が足りないから、留年になってしまうとも。

でも親は別に、「学校に行け」とも、「行くな」とも言わなかった。

しかし「行かなくても大丈夫」とはよく言ってくれた。

これが一番助けになったのだ。

もう自分は、社会のレールから外れてしまったんだ。

もうダメなんだ。

そんなことばかり考えていたような気がする。

しかし、ある日「高校程度卒業認定試験(高認)」なるものが存在することをネットを通じて知る。(旧大検)

自分は「これだ!」と思った。

光が指してきたような気分だった。

それまでの自分が考える社会とは狭いものだったことを実感した。義務教育を出て、高校に進み、そして大学に行く、という図式が全てだと思い込んでいたのだ。

しかしそんなちっぽけな、進学校の高校生の固定観念を、高認という制度の存在が打ち砕いてくれた。

それからは、高校に退学届を出し、高認に向かって勉強。多くの科目が、高校の単位が認められ免除になったのも功を奏した。合格通知を受け取った時は素直に喜んだ。

自分で選んだものに向かって、勉強して、それを達成する喜びを学んだのはその時かもしれない。

これが自分の、レールを外れた人生の始まりとなったのである。

自分が高校を辞めることで得たもの。それは、世界は今見えているレールよりも、いつももっと広いんだ、ということを学べたことなんだろう。